広く 音韻論 と同義に使われることもあるが,一般には,中国および 日本 における,漢字の音韻の歴史的研究を中心とする伝統的学問をさすのが普通。中国では,まず 先秦時代 押韻 などにその 源流 がみられ,漢,魏,六朝時代では 反切 が行われだし,李登の『声類』や, 四声 について述べた沈約 (しんやく) の『四声譜』などの 韻書 が出現する。隋では,中 古音 研究上欠くことのできない陸法言の『 切韻 』が生れ,唐の孫めん (そんめん) の『 唐韻 』,宋の 陳彭年 (ちんほうねん) らの『 広韻 』へと受継がれた。この流れは,宋の『集韻』, 劉淵 の『壬子新刊礼部韻略 (じんししんかんれいぶいんりゃく) 』 (平水韻) ,元の周徳清の『 中原音韻 』,明の『 洪武正韻 』へと続いていく。 一方 ,唐末から 悉曇 (しったん) 学の影響を受け, 音節 構造 の分析をする等韻学が生れた。その整理された 図式 が『 韻鏡 』,『七音略 (しちおんりゃく) 』,宋の『切韻指掌図』,元の『切韻指南』などの 韻図 である。清に入ると,おもに『詩経』の押韻をもとに上古音 (先秦時代) の研究に 重点 がおかれたが,一方,陳 澧 ( ちんれい ) の『 切韻考 』のように『広韻』の反切を系連法により整理する研究も現れた。音韻学は日本に伝わり,大きな影響を与えた。反切に関しては,明覚の『反音作法』などがその代表。日本にのみ伝わった『韻鏡』の研究は, 文雄 (もんのう) 『磨光韻鏡』, 本居宣長 『漢字三音考』,太田全斎『漢呉音図』などにより進められた。

広義には、音韻に関する学問(この場合一般には「音韻論」とよぶ)をいうが、狭義には、日本語に取り入れられた中国漢字音と梵語(ぼんご)(サンスクリット)音を研究対象として、日本で形成された伝統的な学問全体をさす。中国本土で形成された中国音韻学とインドに起源をもつインド音韻学(悉曇(しったん)学ともいう)とは本来別の学問であるが、日本においては、平安初期に真言、天台両密教関係者によって中国から悉曇学が招来されて以来、この両者は明確には区別されて研究されず、融合した独自の学問として発達した。「韻学」と呼称する立場もある。音韻学は中国漢字音の渡来とともに始まり、主として僧侶(そうりょ)や儒学者によって仏典、漢籍の解読と漢詩文作成という営みに伴って発展、進化した。その際、漢字音研究には中国の『玉篇(ぎょくへん)』『切韻(せついん)』『玄応一切経(げんのういっさいきょう)音義』など、梵音研究には『悉曇字記』などが基本的文献として活用され、その注釈や改編などによって日本独自の研究書が多数出現した。その過程で日本語自体に関する認識も深まり、日本語アクセントの把握、五十音図の作成、濁点の発明などがすでに平安時代に行われた。鎌倉時代に至り、天台学僧信範(1223―97)が中国の『韻鏡(いんきょう)』を解釈して以後、音韻学は「韻鏡学」という性格を濃厚にし、江戸時代にはその極に達した。今日の「字音仮名遣い」は江戸時代韻鏡学の成果である。

[沼本克明]

『馬渕和夫著『日本韻学史の研究Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』(1962~65・日本学術振興会)』

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