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  • 応募作品数日本一の創作俳句コンテスト「伊藤園お〜いお茶新俳句大賞」。 第三十三回の応募は過去最多となる194万6,459句。 第一回からの累計は、4,165万5,734句となりました。 ご応募をいただき、本当にありがとうございました。 たくさんのご応募の中から、見事入賞されました作品2,000句を発表いたします。

    この俳句は冬に雪をイメージしてつくりました。もともと雪が多い地域ではないのですが、珍しく雪が降り、校庭一面が真っ白になりました。そんな景色を見ながら、なぜ雪は空から降ってくるのか不思議に感じ、神様が宿っているのかなと思ったことを詠みました。

    雪がふる。その一つ一つの雪片は、六花の結晶で、空から音もなくきらきらと舞い降りて来ます。その途中でぶつかり合ったり重なり合ったりして、大きな雪片となって降ってくるのです。降り注ぐ一つ一つの雪片を、神様の降臨のような、大自然の意志のようにも見て、おごそかな気持ちで両手で受け止め、あるいは腕を広げて体全体で浴びているのではないでしょうか。不思議さに有難さが溶け込んで、しーんとした気分になりますね。
    (選評 安西 篤)

    コロナの影響を受けて2度延期になった修学旅行に、10月行くことができ、その時のことを詠みました。京都、奈良の二泊三日の旅の間友だちと一緒に行動でき、また宿泊先では、修学旅行に行けた歓びやそれまでの行動制限で我慢していたものが弾け、友人たちと廊下や部屋中をはしゃぎ回りました。その様子が、まるで周囲を気にしないで走り回る獣のようだったなあと思い返し「獣」と表現しました。とても楽しかったので、消灯後も走り回っていたため先生にも叱られましたが、それも良い思い出になりました。

    秋の夜、急に何かに憑かれたように体の中に衝動が込み上げてきたのでしょう。それは思春期特有の故知らぬ衝動なのかもしれません。思わず声を挙げたくなるような気持ちで、夜の闇に身を揉みこむように、獣になった気分で走り込んでいく。それを「獣になって走りけり」といったのです。若いいのちの叫びのような全心身運動といえるものかも知れません。
    (選評 安西 篤)

    クリスマスプレゼントに組み立て式のロボットをもらいました。完成すると目が光ったり、動くものをよけて歩いたり、逆について行ったりするモードのあるロボットです。むねの歯車の部分を組み立てるのが一番難しかったです。完成するのが楽しみな気持ちで組み立てました。ロボットもきっと完成して動けるようになるのが楽しみだったと思います。そのことを春を待つ、という言葉にこめて俳句をつくりました。

    動くロボット人形が、玩具箱か倉庫の隅に置かれています。外は雪でしょうか。今は動くこともなく、一個の静止したモノとなっているのです。やがて春になれば、子供たちの遊び相手として、むねの歯車の螺子を巻いて動き出すのでしょう。それまではひたすら静かに、じっと我慢の子となって春を待っています。
    (選評 安西 篤)

    私の父は単身赴任しています。赴任地へ向かう父を空港まで家族で見送りに行った日、空には冬銀河がキラキラ輝いていました。たまに家族と会い、別れる時、父は決して「寂しい」とは言いませんが、その背中は何か寂しく、そう言っているように見えたので、その想いを俳句に表現しました。

    お父さんが地方へ転勤となり、今は家族と別れて暮らしています。見上げる夜空の冬銀河は、お父さんの住む街にもかかっていて、同じようにこの冬銀河を見上げ、家族のことを思っているのかもしれません。単身赴任のお父さんも淋しいでしょう。早く会いたいなあという気持ちが、冬銀河に照り映えています。
    (選評 安西 篤)

    美術専攻の夏期講習でデッサンの授業を選択し、その日は授業後も石こうのマルス像を夢中でデッサンしていました。集中していたので気が付かなかったが、ふと周りを見ると製図室には自分しかおらず、自分と石こう像の二人しか教室に残っていなかった時のことを詠みました。

    放課後も教室に居残って、図工の課題の石膏像と取り組んでいます。この場合、「二人きり」の中味をどう受け取るのか。文脈からは、石膏像と二人きりと読めます。石膏像を作っている間に、いつか相棒のように呼びかけていたのかもしれません。この思い入れが、夏の教室をいのちの通い合いのように感じさせたのです。
    (選評 安西 篤)

    今は成人した子どもがまだ幼かった時のことです。その子がやっと細い線が書けるようになったので、「何か書いてね」と祖父母宛ての年賀葉書を渡しました。子どもはそれをじっと見て、やおら何の迷いもなく渦巻きをいっぱい書いたので、「何だこれ」と笑ってしまいました。賀状は新年を祝う物、という事など関係なしに、懸命に書いている姿は健気で、意味不明なことも無性に可愛く思え、その子どもの成長まで感じた時のことを詠みました。

    二才児は、作者の年齢からみておそらくお孫さんでしょう。両親の年賀状に添え書きした孫のうずまきは、まだ字は書けないながら、精一杯のご挨拶の気持ちを表しています。舌のよく回らない言葉そのもののようにも受け取れて、たまらなく可愛い。その肉声に触れてみるように、筆跡をなぞっています。うずまきにいのちの渦を感じながら。
    (選評 安西 篤)

    私たちは子どもを望んでいませんでしたが、今後の生活を描いた時、子どもは1人か2人が理想的という話になりました。男の子の名前はすぐ決まりましたが、女の子はとても難しいと感じていました。私たちは花の名前が好きで、この俳句は明るい春の朝に、野に咲く花のように心に浮かびました。「ワイルドフラワー」とたとえたのは、見える花であればどんな花でも言い表すことができるように、娘の名も将来の娘に合うと思えば、どんな名前でもふさわしいと感じるからです。

    授かるかもしれない娘のため、よい名前を探し求めながら、野に出て可憐な花を摘む二人。花の名にあやかりたいのか、とにかく何かインスピレーションを得たいわけです。素朴な親の愛情が、野花をめでる心と重なり、美しい景のもと、味わい深い句となりました。「野の花」は秋の季語とされますが、アメリカ人の作ですから、春や夏の野かも知れませんね。
    (選評/日本語直訳 星野 恒彦)

    写真は学生生活含め5年半住んでいた岡山から婚約者の待つ兵庫に引っ越す際、トラックを待っている間に撮影しました。大学生活は全てが順調ではなかったのですが、そんな自分を受け入れてくれた部屋で、インテリアに凝るようなこともなく、蛍光灯も途中から切れかけていたのになんとなく放置してしまったが、いざ引っ越すとなると実は愛着があったんだなと感じて、その想いを写真と俳句で表現しました。

    誰もが人生の中で経験する引っ越しのような写真や俳句にしないところに視点を向け、その時のちょっとした気持ち、気づいても俳句にするかという際どいところを表現している。見過ごしそうな話であるのに、でも人生の中のいくつかの句読点の中に入れ込んできた作者の感受性の豊かさというか、個性が感じられました。このような情景を言葉に残すのは俳句の技の一つですが、人の心に印象を残せる作者の人柄が好ましい。写真も凡庸に見えますが、実は結構神経使っていて、人物の顔が映ってないのも技がありますね。俳句と写真のディテールが、ものすごく繊細でありながら無理なく非常にすんなりと入ってきます。
    (選評 浅井 愼平)

  • 浅井 愼平

    コロナ禍の中での審査会であったから、いつもとは違った緊張感があったが、結果は落着いたものになり、いい意見のやりとりに終始して安堵した。審査員のみなさまにはお疲れさま、入選者の方々にはおめでとうが言えて嬉しいです。

  • 安西 篤

    二年越しのコロナ禍で、在宅審査をベースにせざるを得ない中、作品の方もかえってじっくりと内面化が進み、質の向上がみられたような気がいたします。応募者は世代ごとに入れ替わり、時代の転換期を迎えているせいか、言葉や題材にも動きが感じられました。日々の生活や世の中の動きが厳しさを増す中で、体に感じたものだけでなく、想像力を駆使して作品の世界を広げようとする動きのようにも思われます。それが世代間やさらに同世代の中の個の感覚として、際立ち始めています。今はまだその過渡期かもしれません。

  • いとう せいこう

    今回、「突出して凄い」句が選者の中に旋風を起こしたわけではなかったと思う。けれども各部門の最優秀句を丹念に決めていくうち、それぞれの575がつながりあって色鮮やかで多様な世界を形成した。どこか連句のような、あるいは俳句詩のような。もちろん誰も相手の句など知らない。しかし今地球で、日本で起きていることを繊細にとらえたら、その言葉が結びあった。この無意識の文学運動がとっても面白い!

  • 金田一 秀穂

    毎回のことですが、詠みは創造の一つだとおもわせられます。審査会でみなさんの話を聞いているのがとても刺激的で、言葉が粗雑に薄っぺらに使われている世間の風潮の中で、しっかりした足場になる飛び石のような時間を持てるのは、とてもありがたいことだと、この審査会に呼ばれることの幸せを感じます。

  • 黒田 杏子

    選句は生きがいです。選句に打ち込める俳句人生に感謝しています。懐しい選者の皆様にお目にかかり、心ゆくまでお互いの見解と意見を述べ合う事が出来ました。選句を天職と考えております私にとって、何にもかえがたい時間。おひとりおひとりのご意見、見解、選評に感動。一瞬一瞬に発見と学びがありました。これほどに心満たされる時間はありません。いつまでも続けて居たいと思う充実した選句会でした。

  • 夏井 いつき

    俳句コンテストには、一人で選をするものと、審査員の合議によるものとがあります。一人で考えを練り上げていく緊張感も嫌いではありませんが、他の審査員と議論しつつ一つの結論を導き出す作業は刺激的です。新しい解釈や深い鑑賞が飛び出す度に、心が震えます。選を共有することは、創り出す喜びを共有すること。今年も十二分に楽しませていただきました。

  • 宮部 みゆき

    在宅審査の段階で、雪だるまを題材にしたユニークな句の数々に目を惹かれ、片っ端から丸をつけていったら、雪だるまだらけになってしまいました。雪だるま推しの楽しみも、この新俳句大賞ならではでしょう。出口の見えないコロナ禍のなかで、マスクやソーシャル・ディスタンスを題材にした句に、「いささか疲れてきたけど、頑張りましょうね」という連帯感を覚えました。毎年のことながら、審査会を通して得るものの豊かさを、今年もまたしみじみと噛みしめました。

  • 村治 佳織

    七夕の日にのみ会える織姫と彦星の如く、この選評会があるからこそ一年に一度お会いできる審査員の先生方。そして天国の金子兜太先生。作者によって一句生まれ落とされ、選句によってもう一度、句が生まれ変わる瞬間に立ち会えるのは幸せなことです。作曲者により曲が生まれ演奏家が弾くことにより、曲に新たな息吹を吹き込むこととの共通性も、また今回感じました。ありがとうございました!

  • 吉行 和子

    今回も長時間かけて選考が行われました。この緊張感が大好きです。沢山の俳句を拝見して、皆さんの意見を聞いたりして、私の中で、一句一句が形を変えていく。自分の気持ちが動いていくのも興味深いです。その度に俳句が好きになっていっています。

  • アーサー・ビナード

    自然の摂理を表わすHAIKUが好きなので、ぼくは無機質な光景や工業製品など人工的な題材を避けて作句する。マスクとか消毒液とか隔離施設とかを詠んでも、響かないと決めつけていた。しかし今回の応募作にはmaskをほほ笑ましく表わしたものがあり、またquarantine/the ups and downs/of the hotel elevatorではホテルに隔離された作者の聴覚が冴えて秀句につながった。全体を見わたすとHAIKUの中の季節感も徐々に高まっているようで、いずれseasonal expressionsを集めた「英語歳時記」が編めるだろう。大賞作品に登場するwildflowersは味わい深い実例だ。

  • 星野 恒彦

    世界64カ国から約3万4千句の英語俳句が寄せられた。ウクライナからの投句もあったが、締切りが2月だったので、戦火の影響は受けていない。一方、コロナ禍に取材した句はさすがに多く、自分の身に引きつけて詠んだものに、よい句があった。今回の秀作は、娘が生まれた時のために、野花を摘みながらつける名前を思案する句や、家の味を伝える漬物を遺して逝った祖母を偲ぶ句など。英語表現も申し分ない出来だった。

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