お店をはじめようと思ったのも、まち全体が盛り上がっていないのが問題だと感じたからです。生まれ育ったこのまちが好きだから、このお店を通して商店街にもまちにも何かがしたかった。食料品の担当をしたこともカフェの運営経験もない中で始めたので、もちろん不安はありました。でも食への探究心は人一倍あるので、自分が納得して選んだ、こだわりのものを出していけば大丈夫だとも思いました。素材が確かなものしか使わないというのは、せんべい屋も材料にこだわっているから、同じ意識を喫茶店につなげられるなと。
小学生の頃からの食材マニアで、つい食品表示欄を見てしまう癖があるそうで「これは漫画の『美味しんぼ』影響かな」と畑添さんは笑います。
うちの夏の風物詩になっている天然氷のかき氷は、テレビ番組で特集されて全国的にムーブメントが起きているのを見て、これだ!と思って始めました。材料だけで勝負しているところも、かけるシロップで種類が変えられるところも、生地は一緒で入れる中身で種類を変えている、うちのせんべいと同じだなと思っています。
珈琲や紅茶などのドリンクを注文すると、おせんべいが1枚、お茶菓子としてついてきます
かき氷は定番以外に新作がたくさん出るので、夏の期間中に何度も通う方もいます
オーナー畑添さんとマスター鶴田さん
お店を切り盛りする、マスターの鶴田さんと畑添さんは岡崎高校の同級生。とはいえ、お互い理系と文系だったこともあり、共通の知り合いはいても話をしたことはなかったそう。
大学で畑添さんは東京に、鶴田さんは金沢に。東京によく遊びに来ていた鶴田さんが、畑添さんと友人の集まりで顔を合わせるようになり、社会人になって一緒にDJイベントをやっていく中で仲良くなったと言います。
自動車部品の設計を15年やっていたけど、その会社を辞めた時に畑添に声をかけられたんだ。「暇なら一隆堂喫茶室のバイトするか?」って。高校生の頃は、実家も遠かったし、康生エリアは都会だと思ってなかなか行かなかったから、畑添よりはこのまちに対して思い入れは少ないと思う。でも、一隆堂で働いているおかげで、知り合いは増えているし、楽しいなと思ってる。前の仕事とは全然違うけど、自分には飲食や接客は合っているかもしれない。
コーヒーを淹れる鶴田さん
2013年にオープンしてからビルに移転するまでの2年間は金土日営業だけで、その時から手伝ってもらっていたんだけど、だんだん鶴田くんのお客さんも来るようになっていたんですよね。移転後の規模だと週6日は稼働させたかったから手伝いではなく、本格的に鶴田くんに入ってもらいました。彼が地元の人じゃなかったのは、たまたまだけどよかったかも知れない。まちに密着しすぎてもいけない思うし、いい距離だなと思っています。
「現代版家守になる」という決断とお店の広げ方
お店を始めるだけでも大変なことだったはずですが、「一隆堂ビルディング」は畑添さんが1人で物件を購入してリノベーションと店舗誘致をした場所。そんな大きな決断ができたのは、2015年に「岡崎市家守構想検討委員会」(空き店舗の増加や、まちの賑わい低下の中で遊休不動産の活用を考えるまちの活性化プロジェクト)に参加したことで、場所をつくる価値や影響と現代版家守(遊休不動産の活用を契機として、テナント誘致や各種経営支援やサポートを行うことで地域全体の活性化や再生につなげる民間事業者のこと) の仕組みを知れたから、と畑添さんは語ります。
参加した翌年、2016年にずっと空いていたビルを不動産屋から使わないかと紹介されたんです。まちのランドマーク的な建物だったから、ここに喫茶店を移したらどうか、と考えて。周りには他に新しい店舗はなかったけど、今後まちの広がりもありそうだし、先駆け的にやってもいいかもしれないと思えたので、どうにか算段しました。自分自身は普段サラリーマンをしているから、喫茶店も服屋も経営できない。自分のやれることはお金を出して物件を買うことくらいで、不動産オーナーという立場でなら、思い入れのあるこのまちに関われると思ったんです。
鶴田さんは「横のつながりもできるし、このまちでいま何が起きているか知ったほうがいいから」と畑添さんに勧められて、2016年に行われた
第一回リノベーションスクール
(まちなかにある空き家などを対象とした、エリア再生のためのビジネスプランを創り出す短期集中の実践型スクールのこと。)にも参加したそうです。
その場には、一隆堂喫茶室の内装を手がけた榊原節子さんもいました。実は畑添さんの会社の先輩でもあり、会社を辞めた後に建築家になった人なので「他の人に依頼することは考えられなかった」と畑添さんは語ります。
この地域をよくしたい想いにも共感してくれたし、建物の面影を残したいから、外観は変えず、内装や天井や壁はなるべくそのまま使用したいと話していました。もちろん予算の兼ね合いもあるけれど、まちの中心にあるから間口を広く、お年寄りも入れるようにしたいと。お客さんの幅が広いのはいいことだと思っているので、個性を出しすぎないようにしてもらいました。
オープンしてから現在の場所で6年。いまだに、お洒落すぎて入りづらい、どこに入口があるかわからないと言われ、看板を立てたり、窓辺にサインを入れたりと試行錯誤をくりかえしているそうです。
人員を変えず、機材を増やさない中でできたのが、来てくれているスタッフが考案した、夏場のかき氷以外の売りになる「おやつ」だったそうです。実際に硬めのプリンを始め、おやつもお客さんに愛される定番になりつつあります。「これが今できるマックスのところかな」と、お店はずっとトライしながら続いていくのだということを教えてくれました。