マルチキャリア伝送
OFDM は複数の搬送波に複数の情報を乗せて一気に送る「 マルチキャリア伝送 」の一方式です。複数の搬送波を使えばそれだけ多くの情報を送れるのは当たり前の話で、原理的に言えば如何なる変調方式でもマルチキャリア化することは可能です。たとえば 2.4GHz と 5GHz の周波数に2系統の情報を同時に送信し、受信側でもそれを同時に受信すれば単一周波数より2倍の情報が送れることは直感的に理解できるでしょう。(※註)
しかし、離れた周波数を同時に送受信するためには送受信器とアンテナのセットが周波数の数だけ必要になってコスト高を招きます。また複数の周波数を同時に使うことは、例えばTVのチャネルを複数まとめて1本の番組を放送するようなもので、リンク1本あたりの情報量は増えるかわりに同時に存在できるリンクの数は少なくなってしまいます。

(※註)前回は2種類の周波数を切り替えて情報を伝達する FSK を説明しましたが、2種類(あるいはそれ以上)の搬送周波数を使用しても、ある単位時間に1種類の電波しか出さない FSK はマルチキャリア伝送には分類されません。 むしろ 周波数拡散方式 一形式と考えられます。マルチキャリア伝送は複数周波数の電波を「同時に」送受信する方式です。

OFDM の特長は、狭い周波数帯に複数の搬送波を詰めこんで送信できること...占有周波数帯域をそれほど肥大化させることなくマルチキャリア化できることです。限られた占有周波数帯域に情報を詰め込めるということは、部品点数でもチャネル占有数でも最小のコストで最大の効果(=転送速度)が狙えることを意味します。

ここで注意してほしいのは、前回解説した QAM(直角位相振幅)変調と OFDM(は直交周波数分割多重)変調に 直接の関係はない ということです。QAM はコンスタレーションが格子状になり、見た目がいかにも「直交」という印象を与えるため「QAM = 直交変調」だと勘違いすることが少なくないのですが、 OFDM における「直交」というのは2つの方程式が合成・分離できる数学的性質 を意味するもので、 位相図にプロットしたとき直角になるという意味ではない のです。

OFDM は搬送波の束ねかたの一方式なので、搬送波1本あたりの変調方式(「 一次変調 」とも呼ばれます)は規定しません。これには前回解説した BPSK, QPSK, QAM などが用いられます。OOK と OFDM を組み合わせることだって原理的には可能ですが、さすがに伝送効率が悪いため実用例は無いと思います。また FSK は周波数がブレてしまうので OFDM とは相性が悪く使われません。


デジタル変調と sinc スペクトラム分布
さて ASK であれ QAM であれ、任意の情報系列を単位時間 T で搬送波 fc に変調をかけた場合、その変調波の取る周波数分布特性(スペクトラム)は図1のようになります。

sinc_spectrum_s.jpg 図1 sinc 周波数スペクトラム( 表示 )

図1はスペクトラム(周波数あたりの強度分布)が搬送周波数 fc で最大となり、山と谷を描きながら端にゆくほど減衰してゆく様子を示していますが、この山のかたちは sinc という関数(※註)に従い、谷と谷の間隔は 1/T(Hz) になることが知られています。

(※註) sinc 関数は sin(x)/x であるという解説がよく見られますが、スペクトラムは sinc のマイナス側を折り返した形(wrapped sinc 関数と呼ばれる)を取ります。また x=0 のとき解が発散するので特異点処理が必要だとか、そもそも中央周波数 fc とか変調間隔 T の係数が考慮されていないので、sin(x)/x だけでスペクトラムが描けるわけではありません。

何でそうなるのかは「方形波をフーリエ変換すると sinc 関数になるから」なのですが、あえてより直観的な説明を試みれば

・情報系列に変化がない(全部 0 か全部 1、すなわち情報量ゼロの)場合、変調波=搬送波となりスペクトラムは fc だけになる。
・情報系列が 01 の繰り返しである場合、変調波には搬送波の周波数に加えて変調周期=1/T の周波数成分が乗る。
・情報系列に 001 や 0001 などより周期の長いパターンが加わると、搬送波にはその周期(1/2T や 1/3T)の周波数成分が乗る。
・実際の情報系列は乱数に近いため、周期の長いパターンは出現確率も低い。このため積分的にスペクトラムを描くと長周期のパターンほどピークが低くなる、すなわち端に行くほど減衰してゆくスペクトラムとなる。
・変調速度 T が一定である以上、パターンの変化周期も 1/T の整数倍としてしか現れない。すなわち周期的に「谷」を描くスペクトラムとなる。

となるでしょうか。しかしこの解説ではスペクトラムが低周波側に伸びることは説明できても、高周波側にも対称的に伸びることは説明できないので、より厳密な説明を望む方は情報通信工学の教科書を当たってください。


直交サブキャリア
さて、一定間隔の変調を伴う搬送波形のスペクトラムが sinc に従い、sinc には一定間隔(1/T Hz)の「谷」があることが判りました。この「谷」をヌル点と呼びます。OFDM はこの「谷底」となるヌル点の周波数に次の搬送波の山を載せることで、干渉を最少にしながら(※註)複数の搬送周波数を狭いスペクトラムに詰めこんで送信するという多重搬送波通信(マルチキャリア)方式です。例えば4本の搬送波(サブキャリア)を使う OFDM のスペクトラムは図2のようになります。

(※註) 搬送波形を方程式で表現し、合成した複数の信号(方程式)が完全に分離できることを数学的に証明できれば、それらの信号は「直交」していると呼ばれます。

ofdm4_s.jpg 図2 4本のサブキャリアを持つ OFDM スペクトラムの例( 表示 )

実際の OFDM システムでは数十本~数百本ものサブキャリアが使用され、例えば 802.11a/g 無線 LAN では 52 本のサブキャリアが使われています(うち 4 本はパイロット情報で、実際の情報伝達に使われるのは 48 本)。各サブキャリアには 1/T のレートで何らかの変調(WiFi の場合は BPSK, QPSK, 16QAM, 64QAM のいずれか)を受けた搬送波が乗るため、OFDM システムとしてのデータレートは

データレート=変調速度(シンボル/秒) × シンボル密度(ビット/シンボル) x サブキャリア数

となります。例えば 802.11a では T=3.2 μ秒+ガードインターバル 0.8 μ秒で変調速度は 1/T = 1/4μ秒 = 250K シンボル/秒、これにシンボル密度 6bit/シンボル (64QAM) × サブキャリア数 48 で、理論上の最高データレートは 72Mbit/sec (※註)になります。

(※註) 現実の 802.11a 規格では最高データレート 54Mbps となっていますが、これは冗長符合化適用後のレートになります。冗長符合化については下の解説を参照してください。

ここで面白いのは、変調波のスペクトラム幅(sinc 関数のメインローブ)は変調速度 T の逆数になるため、OFDM では変調速度を下げるほど(情報をゆっくり送るほど)サブキャリア1本あたりの占有周波数帯は狭くなり、よって同じ占有周波数帯域あたりのサブキャリア数を増やすことができるということです。このため OFDM は低めの変調速度を用いるのが特徴です。シングルキャリア・GFSK 変調(1bit/シンボル)の Bluetooth が 1M シンボル/秒の変調をかけているのに対し、OFDM を使う 802.11a/g はその 1/4 の変調速度で 50 倍以上のデータレートを実現しているのです。

シングルキャリア方式でデータレートを上げるためには変調速度かシンボル密度のどちらかを上げる必要がありますが、変調速度を上げれば占有周波数帯は広がり(※註1)、しかもシンボル時間が短くなるとマルチパスによるシンボル間干渉に弱くなります(※註2)。シンボル密度を上げるのも容易ではなく、電波通信では 64QAM (6bit/シンボル) がほぼ実用限界、思い切り頑張っても 256QAM (8bit/シンボル)です。Bluetooth EDR では 8PSK(3bit/シンボル) で 3Mbps まで速度を上げましたが、そこで頭打ちでした。

(※註1) 帯域なんか幾ら広がってもいいから、ひたすら変調速度を上げて速度を稼ごうというのが UWB (インパルスあるいは DSSS) の発端でした。詳しくは こちら を参照してください。

(※註2) 複数の反射経路で届いた電波が合成されて受信され、時間軸上で前後したシンボルが混信する現象です。詳しくは こちら を参照してください。


仮に 256QAM を使う「Bluetooth Super EDR」を作ったとしても、シングルキャリアで占有帯域が同じ(=変調速度が同じ)であれば 1M シンボル/秒×8bit/シンボル=8Mbps にしかなりません。GFSK や 8PSK に対し 256QAM に必要な回路規模や要求される電波品質(≒通信距離)を考えると、あまりにも割に合わない話です。これに対し OFDM ではサブキャリアを並べた数だけ伝送情報量が増えるのですから、例えば 802.11a/g ではシングルキャリアに比して 48 倍、802.11n の HT40 では 108 倍で、その効果の違いは圧倒的と言えます。しかもスペクトラムが矩形に近い分布を取ることから、「縦割り」で与えられた周波数帯域を一杯に使って通信することができるのです。今日実用化されている高速無線通信方式がほとんど OFDM 一色になったのはある意味当然で、近い将来にこれを覆す新技術が出てくる兆候も(今のところ)ありません。


OFDM の欠点
以上の解説から、 OFDM が高速通信に向くと いう特長を理解して頂けたかと思います。また変調速度が低くガードインターバルまで挿入していることから、マルチパスによるシンボル間干渉に強い= 乱反射源の多い室内でも性能が落ちにくい という特長も持ち、無線 LAN 用途として優れた性質を備えていることも判ります。では、OFDM の欠点は何なのでしょう?

まずひとつは、通信中にかなり広い帯域(802.11a/g であれば 22MHz 幅)を最大出力で占有するため、 同一周波数帯を使う他の機器に対する干渉が大きい ことです。ホッピング拡散を使う Bluetooth も帯域幅だけは広い(80MHz)のですが、ある瞬間(ホッピング周期 625 μ秒)に占有する帯域は 1MHz でしかありません。これに対して OFDM の WiFi は通信中、割り当てられた 22MHz 幅をびっしりと独占し続けるのです。このため、例えば Bluetooth は AFH を用いて WiFi の占有周波数帯域を「避けて」使うという話は「 Bluetooth のはなし 5 」で紹介しました。

では逆に、他システムからの干渉には弱くないの?という疑問に関しては、「干渉を受けると性能は落ちるが、すぐ致命的な通信断絶にはなりにくい」という特徴があります。802.11 無線 LAN では OFDM の最大帯域を常に一杯に使って通信しているわけではなく、「畳み込み符合(※註)」による冗長化を何段階かに分けて適用しています。

(※註) 802.11n ではより効率の高い「LDPC 符合」がオプションで定義されています。

表1 802.11b/g におけるレートと符号化率

「符号化率」を判り易く説明すると、例えば冗長符号化率 1/2 では 1bit の情報がシンボル 2 つに分けて転送され、どちらか届いた方が復号されて使用されることになります。当然ながらスループットは半分になりますが、伝達欠損に対する耐性は上がります。
WiFi において冗長化されたシンボルは別々のサブキャリアに割り当てられる公算が高いため、48 本あるサブキャリアのうち一部のサブキャリアが干渉を受けてシンボルが崩れても、高い冗長化が適用されていれば復号によって情報を再生できる可能性が高くなります。これが「干渉を受けると性能は落ちるが、すぐ致命的な通信断絶にはなりにくい」理由です。

Bluetooth にも冗長符合化(FEC, Forward Error Correction)はありますが(※註)、シングルキャリアの Bluetooth で冗長化された符合は(OFDM のような周波数軸ではなく)時間軸に対して展開されるため、瞬間的なパルス性ノイズへの耐性は上がりますが、チャネル丸ごと全滅するようなバンド干渉に対しては効果がありません。Bluetooth の場合、こういった干渉に対しては周波数ホッピングと再送によって対処しています(あるフレームが干渉によって潰れても、ホッピングによって再送時には別の周波数チャネルで送信される公算が高い)。しかしホッピング再送でのリカバーに期待するなら FEC は大して意味がないと判断されたのか、EDR で追加された 2Mbps / 3Mbps のフレームや Bluetooth LE のフレームには FEC がありません。

(※註) Bluetooth の FEC アルゴリズムは WiFi より簡易なハミング符合で、しかも特定のフレームタイプ(DM, DV, FHS, HV1, HV2, EV4)にしか適用されません。符号化率は HV1 のみ 1/3、他は 2/3 となっています。


OFDM もう一つの弱点は、 周波数変化に弱い ことです。OFDM では与えられた周波数帯にびっしりとサブキャリアを埋め込み、1サブキャリアあたり非常に微細な位相・振幅変化を検出してコンスタレーションを算出する QAM 変調を多用するため、送受信中のわずかな周波数変化でも情報再生が不可能になってしまいます。周波数シフトが小さくかつ一定量であれば補償演算によって修正できるのですが、1フレームの中で周波数シフトが起きるとほぼ確実に1フレームまるごと復調に失敗します。
この性質は特に移動体通信において問題になります。固定局と移動体の間ではドップラー効果による周波数シフトが発生し(※註)、特に移動体が激しい加減速を伴う場合(あるいは基地局と移動体の距離が近く、大きな相対角速度を持つ場合)には1フレームの送受信中に偏移量が変わることになります。また前述したように OFDM はシンボル変調速度が遅いため、1フレームに占める時間が他の通信方式よりも長くなる傾向があり、これもまたドップラー偏移に対する耐性を下げることになります。

(※註) 計算上は 200Km/h でも 1KHz 未満の偏差(2.4GHz の搬送波に対して 0.00002% 程度)なのですが、64QAM のように密度の高いコンステレーションを使う場合は無視できません。


また、OFDM のようなマルチキャリア信号を処理するためにはデジタル回路が必須になります。例え1サブキャリアあたりの変調方式がシンプルな BPSK であったとしても、48 本ものサブキャリアを同時に受信して復号するのはアナログ回路では極めて困難です(※註)。QAM 変調がそうであったように、OFDM もまた高速 DSP による信号処理の実現によって実用化できたものです。
しかし逆に言えば OFDM の実装には高速 DSP が必須ということであり、よりシンプルな方式に比べると 回路規模の複雑化・消費電力の増大 を避けられません。このため、ボタン電池で数年間稼動することが求められるような超低消費電力無線には、 一般的に言って OFDM は適しません。

(※註) 実は OFDM が登場する以前にも、アナログフィルタを用いた MFSK 直交変調通信方式が知られていました。しかし OFDM ほどサブキャリアを密集できないので占有周波数帯域が増大すること、回路規模が複雑化することから実用範囲は限られていました。


まとめ
以上、なるべく難しい数式を使わずに(どうせ私にも理解できていない) OFDM を説明してみました。「沢山の周波数(サブキャリア)を密着させて一気に送る」「サブキャリア1本ごとの時間あたり情報量(シンボル変調速度)は比較的低い」というのが OFDM の特徴であり、「高速化に向く」「マルチパス干渉に強い」「周波数偏移に弱い」という利害得失はそこから導き出される結論です。

90 年代半ばから 2000 年頃にかけて、次世代無線通信方式として「 周波数拡散方式 」が注目されていました。日本の大企業や学術研究機関も周波数拡散方式の研究に入れ込み、少なからぬ方式が日本からも提案されたのですが、既に述べたように OFDM は周波数拡散ではありません。 「拡散」というのは広い周波数範囲を「飛び回り」ながら使うことを意味しますが、OFDM は周波数帯域をべったり塗りつぶして使うのです。周波数拡散方式と似ているどころか、まるで正反対を向いた技術です。あれほど騒がれた周波数拡散にかわって、技術的にはいささか野蛮とも言える OFDM がわが世の春を謳歌しているのは、かつてジャンボジェットとコンコルドの例えで出したように、世間によくある皮肉な話なのかもしれません。

では、次回はその「周波数拡散方式」について解説しようと思います。



ビットレート 二次変調 一次変調 符号化率
1Mbps DSSS BPSK
2Mbps DSSS QPSK
5.5Mbps CCK-4 QPSK
11Mbps CCK-64 QPSK
6Mbps OFDM BPSK 1/2
9Mbps OFDM BPSK 3/4
12Mbps OFDM QPSK 1/2
18Mbps OFDM QPSK 3/4
24Mbps OFDM 16QAM 1/2
36Mbps OFDM 16QAM 3/4
48Mbps OFDM 64QAM 2/3
54Mbps OFDM 64QAM 3/4