明治20年,信州伊那で果てた放浪俳人は,幕末維新の乱世を,酒の入った瓢箪と杖以外は生涯無一物に徹して,芭蕉を崇拝し,風狂に生き,風狂に死んだ.その生い立ちはいかなるものだったのか,どこから来て,どのような生活をしていたのか.明治維新や戊辰戦争の荒波にどう身を処してきたのか.類い稀な「ほかいびと」の歴史的真実に迫る.


■編集部からのメッセージ
なぞとき 伊那の井月さん
私は伊那の出身である。帰省したおりジョギングをする三峰川の堤には、幾つもの井月の句碑が建てられている。時折立ち止まっては句を眺める。とりわけ私には「除け合うて二人ぬれけり露の道」というのが、人情味とおかしみと艶っぽさがあってお気に入りの一句だ。
井月のことは、もともとは伊那毎日新聞社で発行し、伊那市内の書店ではどこでも常備していた下島勲・高津才次郎編『漂泊俳人 井月全集』を通して、埋もれた俳人として知っていた。急に身近なものになったのはつげ義春の漫画『蒸発』だった。そこには古本業を営む存在感のない友人と、「乞食井月」とよばれた井月の生きざまが二重写しになって描かれていた。
そして、伊那御出身の映画監督・北村皆雄さんによって、井月は3たび現代によみがえることとなった。北村さんは私の高校の先輩である。民俗芸能や世界の聖地や日本百名山についての素晴らしい映像記録を手掛けてこられた監督は、郷里に回帰し、『ほかいびと 伊那の井月』(井月を演じたのは舞踏家の田中泯)という劇場公開の映画を撮り、本書で井月をめぐる歴史考証を手掛けられた。生涯のほぼ半生となる30年間を伊那で過ごした井月が、幕末維新の怒涛の歴史の中にありながら、どのようにして風雅を究めた俳人として以外にまったく足跡を消すような形で生き抜くことができたのか。歴史的事実としての井月像を通して井月の文学的真実をあぶり出そうという意図が、本書にこめられているように思う。 序章 井月風狂に死す
第一章 ほかいびと井月 放浪の系譜
1 放浪の系譜
2 瓢箪と杖――空也
3 捨てて捨てえぬもの――西行
4 雲の如く、水の如くに――道元
5 捨ててこそ――一遍
6 拄杖に命を結ぶ――芭蕉
7 寂をしれとや――惟然
第二章 井月の句の世界
1 ほかいびと――寿ぎの歌・悲しみの歌
2 井月の句の世界
3 井月の挨拶句を深める
第三章 井月の俳論 雅と俗と月並
1 挨拶と月並
2 雅と俗――井月は俳句をどう考えていたのか?
第四章 伊那の井月
1 放浪の俳人井月の境涯
2 伊那気質と風土を巡る
3 日記に見る井月
4 放浪を許さぬ時代
第五章 井月の出自と思想を探る
1 長岡で井月を追う
2 幕末の俳人たち
3 戊辰戦争時の長岡藩を知る
4 井月の出奔と勤王
5 江戸と京都への遊学
6 勤王の筆――勤王小説と和歌
第六章 水戸の尊王思想と井月
1 水戸に井月を追う
2 水戸天狗党
3 天狗党と井月の友人たち
4 伊那谷 草莽の平田学と天狗党
第七章 二人の亡命者 井月と霞松
1 それぞれの亡命者
2 二人の沈黙
3 『井月の句集』にまつわること
第八章 井月と伊那の夜明け前
1 裏切られた明治維新
2 井月と秩父困民党
終章 井月の死
井月略年表 北村皆雄(きたむら みなお)
1942年長野県伊那市生まれ.早稲田大学第一文学部演劇科卒.映画監督.映像人類学・民俗学を標榜してアジアをフィールドに作品を作る.早稲田大学琉球・沖縄研究所招聘研究員,立正大学講師.井上井月顕彰会会長,ヴィジュアルフォークロア代表.映画作品『ほかいびと伊那の井月』『見世物小屋』『修験』『カベールの馬』『アカマタの歌』.
著書『つな引きのお祭り』(福音館書店),『千年の修験』(共編著新宿書房),『見る,撮る,魅せるアジア・アフリカ!――映像人類学の新地平』(共編著 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科協力,新宿書房),『井上井月と伊那路をあるく――漂泊の俳人ほかいびとの世界』(共著彩流社)他